ノスタルジアは郷愁と訳されますが、その原義は、ラテン語で『古傷の痛み』というらしく、単なる思い出だけではなく、心のうずきが伴います。
アメリカの50年代を舞台に広告代理店を舞台とした人間ドラマ「マッドメン」で、主人公がコダックの回転式の写真映写機「カルーセル」をクライアントにプレゼンする場面で、このような台詞があります。
確かに派手な技術は消費者の目を引きます。
しかし、それ以上に消費者の心を揺さぶるのが、製品に対する特別な愛着です。
最初の職場の毛皮会社に、テディというコピーライターがいました。
彼いわくまず広告に欠かせないのは、目新しさとニーズを想起させる要素。
そして製品は自然と消費者の家に収まる。
何が製品への深い愛着につながるのか。
たとえばノスタルジア。それは繊細で、強い想いです。
テディは言いました。「ノスタルジアの元来の意味は『古傷の痛み』」
それは記憶を圧倒するほど力強い心のうずきです。
この機械は宇宙船ではなく、タイムマシンです。時間を戻したり進めたりして、
戻りたいと渇望する場所へ連れて行ってくれます。
「車輪」というより「回転木馬」です。子供がする冒険にも似ています。
ぐるぐる回って必ず家に戻ります。自分が愛される場所へと。
12年前に、初めてW140を買った時、それまで乗っていたW126とのあまりの違いに、心の底から驚きました。それから10年以上、私のファーストカーとして、活躍してくれましたが、トランスミッションの些細なトラブルで、修理工場を二転三転し、結果的にはキックダウンスイッチの交換で2万円で完全に治りましたが、私の関心は徐々に冷めていきました。
昨年売却した時も、この600SELは1万キロ台のノーマル仕様でしたが、最後の2年くらいはメンテナンスが行き届かず外装もかなり痛んでおりました。
AMGS600Lもほぼ同時に売却して、二台整理したときは、心の底から気が楽になったことを覚えています。
しかし、走らせると、あの鷹揚な足廻り、すばらしいエンジン、ガッチリとした駆動系の感覚は、やはりベンツ濃度は高く、売るのを躊躇った事を記憶しています。
昨年末に売却したR129-500 SLも、25年前の車と思えない先進性、動力性能、そしてその後のモデルからは失われてしまった本物のクオリティがありました。
先月、何気なくヤフオクをウォッチしていたら、94年式の500CL 2.4万kmという極上物件が出品されておりました。しかも色は希少なパールブルーというもの。ベンツの大型クーペにはよく似合う色です。あいにく、その車は落札されずに終わりましたが、出品者と連絡を取り、次の週末に別件で東京に用事があったので、その足で見学、試乗して気に入ったら買って乗って帰ると伝えました。
出品者によると、初代オーナーは屋内保管の為に内外装の程度は抜群とのこと。走行1.2万kmで購入ししばらく乗ったが、事情で一時抹消を行い三年間は不動状態にあった。しかし、昨年の夏に一念発起し新たに車検を取り直してみたが、仕事で海外に行くことになり、家族の意見もあって売却する事になったそうだ。前回の車検時に、相当な整備を行っており、エアコンのコンプレッサー、ブレーキマスターシリンダー、ウインドウレギュレーター、燃料ポンプ、燃料フィルターなどを交換しているとのこと。
W215が空前のバーゲンプライスで買える時代、あえて何故W140?しかもクーペ?
私自身、まともにW140に乗るのは3年振りくらいです。しかも、ノーマルの600SELはもっとご無沙汰。街でW140を見かけることはもうほとんど有りません。ましてや、クーペなぞ見たことすら無い。
もちろん、程度、走行距離、内外装のカラー、などは最後の決め手になりますが、W215とは役者が違うという事実を確認したかったからかもしれない。
現在、CL600と760Liでかなり楽をしていますので、何か物足りない気がしていたのは事実です。
肝心の走りは、もはや現代の価値観では評価不可能なのか?または、適切にメンテナンスされた極上のW140は未だに感動を与えてくれるのか?頭で考えると、思考停止に陥りますが、実際に走行2万キロの物件とはどんなものなのだろうか?
では、恐る恐る試乗してみます。ドアを開けていきなりあまりの重さにびっくり。W215とは車格が違いました。。そして運転席に乗り込むと後席からするするとシートベルトのガイドが伸びてきます。これは、W126のクーペモデルを思いだしますね。
アクセルを踏み込むと、??前に出ない。あっそうだった。この年代のベンツはアクセルの遊びがあり、少し踏み込む必要があるのを思い出しました。そろりそろりと加速していくと、一気に過去の感覚が蘇ってきます。まさにこの時代のベンツそのもの。深いストローク、実用域では万事控えめなエンジン、そして路面感覚をありのままに伝えるボールアンドナット式のステアリング、完璧なAT、そして内装の作りこみはW215とは別世界で、W140というよりも素材や意匠などはW126に近い。
この広大なトランクルームを見よ。使用感の少なさが購買意欲を掻き立てます。
後席は殆ど使用した感じはありません。乗り降りは不便だが、なかなか広い。
それと、私の趣味であるDIYカーオーディオのベースとして、W140クーペは、3wayのスピーカーをインストールして、ドアの内部にバスレフ型のエンクロージャーを入れたいとか、、妄想しています。
見よ、実走行で2万4千km。奇跡のコンディションなのだ。。。
さて、大阪まで500キロを高速道路で運転したインプレッション。
結論から申し上げますと、我々が現実的に購入しかつ維持可能な旧世代のベンツの中で、W140クーペは、セダンを単にかっこよく2ドアにした車では無く、贅沢の極みでありました。
特に印象深かったのは、ステアリングギアボックスの超絶ななめらかさと剛性感。これだけは、もう次元が違う。これを味わうために運転する価値があると思わされるくらいです。
機械式のオートマチックトランスミッションの変速も極めて滑らか。本当に素晴らしいです。
内外装の立て付けにおいては、もはや別格と言ってもよいでしょう。140セダンよりも使われている素材や様々な意匠が凝っています。
大阪に帰ってから、小一時間ほどBMWの760にも乗りましたが、140クーペのあまりのベンツ濃度に、拍子抜けしました。
今回の個体は、希少な外装色、2万4,000キロの走行距離内外装のダメージの少なさ、など感情移入するには十分な要素が大いにあり、今後の私のメインカーとして、活躍してくれることになりそうです。
正直に申しまして、W140にここまで感情を揺り動かされるとは思ってもみませんでした。単なるノスタルジーに過ぎないと思っていたのは、大きな誤算でした。