先日、訳が有ってレンタカーを使用したのだが、その際に借りたのは、あの日産が誇る世界初の電気自動車「リーフ」であった。料金も、キャンペーン中だったせいもあり、特に高くは無かったと思う。
しかし、このリーフは、レンタカー市場ではあまり人気が無いらしい。その理由は至極単純、走行距離が少なすぎるのである。走行可能距離は、カタログ上でおよそ160kmであるが、実際には120km前後だそうだ。充電スポットはまだまだ少ないし、途中でストップした際にはJAFを呼んだところで、どうにもならないかもしれない。
では、乗ってみよう。2011年式のバリバリの新車であるが、まあ基本的なところは一緒だろうと窓口の社員のレクチャーを振り切って、いそいそと運転席に座ったのはイイが、、、
まずスタートが出来ない。。。。。。
そこで、取り説をめくってみても始動の方法は何処にも書いていない。(多分、書いてあると思うのだが、、、)そこで、今回は謙虚に窓口の方に聞いてみると、なんとハンドルの左下の付け根にスタートボタンが有り、それを押すとメーターパネルが一挙に明るくなった。
室内にいると、かすかにモーターの高周波が聞こえてくるだけで、いわゆる自動車らしいい振動は全くない。ハイブリッドカーも初めは強烈な違和感があったが、リーフはそれを上回る。
しかし、慣れてしまえばこちらのもの。。。いざ、街に出て首都高に乗れば、想像以上の加速に驚いた。
普通に踏んでいるのだが、知らない間に他の車を追い越していく、、、。
ベーシックグレードのXは376万円という価格。これに補助金の78万(最大)を差し引くとおよそ300万円という現実的な価格になる。当然、取得税、重量税はゼロになり、自動車税は15,000円となる。
このたびの東日本大震災と福島原発の大事故で、日本の電力行政の様々な矛盾が明らかになった。
政・官・財・学の強固な結びつきは電力業界に限らず、戦後の官主導の経済発展においては、全ての業界で見られた現象である。しかし、製造業の多くが対外不均衡による円高に苦しみ、自らの体質を変化させてきた。保守的と思われる金融業界においても、規制緩和と外資系金融機関との競合という環境の中で、業態を大きく変化させてきた。
電力業界は、資源の無い日本に安定的な電力供給を行うという大義名分で、様々な特権を享受してきた事実上の地域独占企業である。資源を持たないが故のハンディはあるものの、欧米の3倍程度の電気料金を日本人に払わせてきた。そのコストの多くが新しい発電所を開発するためのものである事はあまり知られてはいない。
東電をはじめ、電力業界は、発送電の分離、電力料金の自由化、代替エネルギーの導入には、様々な手段を用いて頑強に反対、抵抗をしてきた。また、発電所の建設そのものが利権化し、地元の経済を潤してきたという事実も見逃してはならない。その象徴が原子力発電所なのである。
しかし、資源も無く、中東やロシアに軍事的なプレゼンスを持つわけでもない日本で、エネルギーの安全保障というシリアスな問題を避けて、原発を全否定するのはあまりにも感情的かつ短絡的である。
世界の権力者には、「石油が上がったほうが嬉しい人たち」と「石油が上がらないほうが嬉しい人たち」に2分されるという。前者は、産油国(サウジ、ロシア、など)、アメリカの石油メジャーなど、、、後者は、反アラブ勢力であるイスラエル、原子力マフィア、、、、(とかなり単純化していますが、、、)
巷間ささやかれる、地球温暖化という話も後者から出てきたものであるが、その真偽については科学的な根拠は甚だ弱いそうである。
とまあ、大人の事情はよくわからないので話は本題に戻すとして、、
政・官・財・学の鉄の結束を誇った東京電力も、大自然の力の前にはなすすべも無い。近い将来、東電は解体されるであろう。
これからの日本の電力システムは、現在のような巨大な発電所から各家庭に送電されるようなヒエラルキー構造ではなく、家庭用燃料電池、太陽光発電などを使ったネットワーク型の「スマート・グリッド」と呼ばれるいう仕組みになっていくのではないだろうか。
NTTが独占していた固定電話の回線が民間に開放され価格崩壊が起こった。さらに光ファイバーのインターネット回線が普及したり、一人一台の携帯電話が当たり前になったように、これからは電力システムも大きく変化するであろう。
自動車も、一部は家庭用の送発蓄電の一部として組み込まれ、ハイブリッドカーで発電した電気を家庭で使う、もしっくは電池が空ならば夜間に家庭で充電するというシステムをトヨタが考えているそうだ。
震災後、日本は総自粛ムードで、有効な景気対策など無いかと思われているようだが、本当に日本には成長市場は無いのであろうか?バブル崩壊から20年、日本人はせっせと貯金ばかりしている。
衣食住のうち、日本の衣食のレベルはおそらく世界一二であると思われるが、「住」は残念ながら先進国の中では最低レベルにあると思う。しかし私は、逆にここにチャンスが有ると考える。
デフレに悩む日本を救う最後の切り札は、日銀が復興国債を20兆円引き受け、東北の復興に充てるとともに、新しい耐震基準を満たし、太陽光発電、家庭用燃料電池などの備えた住宅の新地区や増改築には、補助金やエコポイントを100~300万くらい付けて、ローン金利も全額控除すれば良いのではないだろうか。
そうすれば、街中の建設関係の中小企業が息を吹き返すので景気も回復し、土地の価格も上がるので銀行の融資姿勢も改善するし、一石三鳥である。
問題は、日銀がかたくなに国債引き受けを拒んでいる事である。経済学の教科書は、中央銀行の国債引き受けはいわば近親相姦的なタブーとして絶対にしてはいけないと教え込んでいるが、、、、
現実は、全くそうではない。
リーマンショック以降、アメリカのFRB、イギリスのイングランド銀行、欧州中央銀行のいずれもが、バランスシートを三倍以上に拡大し、「非伝統的」というよりも「非常識的」な政策を採用している。昨今の皮肉ともいえる「奇妙な円高」を説明するには、この事実だけで殆ど可能であろうと思う。
福島原発の事故は、東電と経済産業省と御用学者の招いた人災という側面も大いにあると言えるが、同じように、昨今の円高、デフレは、政府、日銀、メガバンク、御用学者の招いた100%の人災である。
海外メディアから絶賛された、日本人の我慢強さ、礼儀正しさ、他者への思いやりには、同じ日本人として誇らしい気持ちも大いにあるが、同時に長年の平和で飼いならされたが故の草食動物的な従順さと映らなくもない。
そういう日本人の体質が、東電や日銀のような無責任な集団をのさばらせているのだと思うと、気持ちは一層複雑である。。
日産リーフは、実用面ではまだまだ課題は多いが、インフラの整備、バッテリーの性能向上とコストダウンで、あと数年で確固たるポジションを占めるであろう。日本人は、これだけの独創性とチャレンジ精神を持っているのに、残念でならない。
前述した吉村昭の「三陸海岸大津波」や「関東大震災」を読むと、その当時の日本人は決して礼儀正しくもなく、はっきり言ってしまうと野蛮な民族であった。
今の日本人に必要なのは、礼儀正しさではなく、怒りではないだろうか。