2008年10月19日日曜日

海を渡った Rolls‐Royce Camargue Ltd

買いそこねた車を今でも未練たらしく思い出すことがよくあります。その中の一台を今日お話します。昨年の夏、ヤフオクでウォッチしていた、走行距離8千km台の、ロールスのカマルグ・リミテッドという、世界いにたったの12台のみという希少モデルを入札し損ねました(泣)
ロールスの中でもカマルグはイタリアのピニンファリーナがデザインした流麗な大型クーペで、その生産台数は600台程度と非常に珍しく、その中でもリミテッドはマリナー・パークウォードが内外装を手がけた 事でもでもさらに稀少で、総生産台数は12台との事。希望落札価格よりもたった30万円下で指値したのが、運の尽き、、(泣)、その後、プールで一泳ぎしている間に、落札されてしまいました(号泣)悔やんでも悔やみ切れないとは、この事です。。




この悔しさは、しばらく尾を引き、未練たっぷりで、しばらくそのオークション画面のコピーを眺めておりました。どうしても諦めがつかないので、調布のシーザーさんに同じカマルグ・リミテッドが置いてあったので、見に行きました。このカマルグは、お店の方でも大事にされているようで、お店の一番奥にデーンと展示してありました。第一印象「アメ車みたい。。。。」
私の目がマジだったのか、店長と思われる方の詳細な解説があり、いかにこのカマルグ・リミテッドが稀少かつ程度がいいのかをお話されました。

当然、今回ばかりは横浜コーンズに直行させ、駄目だし整備をお願いする。基幹部分が完璧になったら、内装を徹底的にメンテして、仕上げにマッキントッシュのCDデッキ&カロッツェリアのHDNAVIを装着して、13cmのアルニコのフルレンジユニットを内装を壊さずにインストールして完成。。

このモデルは、前期型は、コーニッシュと同じ、シルバーシャドーをベースにしていると思われますので、多分、、、、、トラブルが多いのではないかと思われます。

なお、Limitedは、SZ系なので、問題は少なかろうと思います。(まあ、シャドー(SY系)とスパー&スピリット(SZ)は基本的な設計は、ほぼ同じですが、ハイドロ関係の仕組や燃料噴射が違う

実際見てみると、写真と実物の印象は相当違います。尋常ならざる存在感があります。第一印象は、、、かっこ悪いというよりも、、顔が変。。うなぎ犬みたい。あと、デザインがバリバリの70年代してて、今これを乗るのがおしゃれかどうかは微妙、、後、、日本で似合う場所ってどこなのか??



SZ系のロールスよりも、幅広く、背が低い。見た事も無いような長いドア。絶妙なホイールアーチのカーブ、、そして横から、そして後ろ斜めから見た時のプロポーションは非常に美しい。

これは英国車のダンディズムというよりも、イタリア車、、とりわけフェラーリ、ランチャの往年のモデルだけが持つエレガンスをはっきりと感じました。

コーニッシュがクラシックならカマルグはモダン。流石は、ピニンファリーナのデザインです。まあ、白黒でB&Rを並べるのも嫌味ではありますが、これ単品でも十分に欲しくなる。

最大の見せ場は、、内装のコノリーレザーが尋常ならざるクオリティ、、これは、、他のロールスとは別格だ!!!



その後、秋の湘南の空いた道をドライブしながら、葉山の音羽ノ森ホテルのカフェテラスでたたずむ私。。。。(アホ)

という調子で、妄想&資金繰りをしていたんですが。。結局、、夢に終わりました。

まあ、、、こう考えると、ベンツは妄想をかきたてる要素があまりにも無い。

後日譚として、その後、未練がましく出品したお店に聞いたところ、すでに海外に買い手がいたらしく、翌日には業者さんが取りに来て、すでにもう港を出たとの事。

日本は世界一ロールス&ベントレーが安い国らしく、さらにカマルグのリミテッドというモデルは世界で12台しか作られなかったようで、このような稀少モデルはそれなりにすぐに買い手がつくようです。まあ、要は縁がなかったというだけの事です。

わが友、SL

ここついぞ、600SLをオープンで乗る機会は少なかっが、本日、久しぶりに幌を上げ、ガラ空きの鎌倉の山道を60km〜80kmで走ってみると、この車の真骨頂がようやくわかってきた。

そして、首都高湾岸線をオープン状態でも、アクセル一踏みで、160kmまで、一気に矢のように加速しても全く不安がない。唯一気になるのが、さすがに風の巻き込み。これは付属の巻き込み防止のドラフト・エアー・ストラップを付ければば、ほぼ100kmまでは無風とのことである。


R129のボディ剛性は、この時代のオープンにしては驚異的ともいえるレベルに達しており、ハードトップ装着時などは、この車が、オープンであることを完全に忘れるくらいである。この万能性を認めた上で、R129のオープン時の気持ちよさは、ハードトップ装着時を大きく上回り、言葉では言い尽くせないものがある
オープンモデルにも関わらず、R129がこれまで上質な走りを実現出来ているのは、言い尽くされたことであるが、設計は勿論のこと、そのボディのつくりの良さであろう。
確かに、現在のコンピューターで最適設計された、高剛性の車、例えば、日産のスカイラインや、FUGA、AUDI、こういう車は確かに乗ってはっきり分かるくらい、剛性も、剛性感も高いが、決して気持ち良くない。
その点、ベンツは最新のモデルでも、独特の「しなり」があって、これが、えもいわれぬベンツの乗り味にかなり寄与していると思う。とりわけ、R129は、オープンモデルであるから、このしなりを十分に生かし、車重、エンジンパワー、短いホイールベースと相まって、独特の乗り味を達成している。この乗り味は、相当高級なものなのだ。

一時は、もう放出も考えた600SLであるが、もっと手を入れて、もっと良くしたい気持ちになってきました。
手始めに、サッコ・プレートの色あせの再塗装と、HID化と、スピーカーのインストールおよび、途中で止まってしまう、ラジオアンテナの交換、
手始めに、来週末は、エンジンルームの丸洗いと、ボディに付着したピッチの除去、ドアの接合部、トランクの溝、ドアシールの洗浄、および保護剤の塗布、、


私があえて言うまでもなく、R129は名車です。今100万くらいで、相当いいR129が買えます。初期メンテに、30万くらいかけてビシッと直せば、相当満足度の高い車両が手に入ると思います。また、程度の良いR129は、もうあんまり値崩れしないので、売る時に二束三文にはならないと思いますね。

2008年10月14日火曜日

私の外車人生の原点  BMW 745iA (E23)

私の今までの外車人生の中で、思い出に残るモデルは多々ある。そして、その中でも、人生初の外車というのは、後の外車生活に、大きな影響を与える。 私の外車人生のはじまりは、先々々代のBMWの7シリーズ、E23の745iAである。この車はわたくしの外車人生の原点でもある。今は、もう手元にないこの車のことを思い出してみることにする。



私が、人生はじめて自分で購入した車は、三菱のディアマンテという、当時一世を風靡したセダンであった。BMWのようなフロントマスク、ジャガーのような広告、、、当時、平成二年というと、バブル華やかりし頃ではあったが、新入社員がいきなり3ナンバーなど購入するというのは、もっての外で、ずいぶんといじめられたものだ。
この車は、買い物に、デートに、旅行にとさんざん活躍し、いい思い出も、嫌な思い出も、沢山ある。そのディアマンテにも、およそ2年乗ったのだが、ある日突然、外車雑誌の片隅の掲載してある、「1984年式 BMW745ia シルバー、アイボリーの革の内装、75000km」という物件を発見した。



このE23の745iAは、私が学生時代、大学の近くのあるお宅に停まっており、そのスタイルに魅了され、いつか、こういう車を自分で所有してみたいと、熱望していたモデルである。当時、BMWの最高峰に位置し、若造にはとても近寄りがたいオーラを放っていたことを今でも鮮烈に思い出す。

「歴代のBMWの中で、最も美しいモデルは何か」という問いに対しては、、多くが「E24 通称6シリーズ」と答えるだろう。その、黄金律のようなボディの構成比と、ドイツ流うの幾何学的な内装のデザイン、そして伝統のシルキーシックス、、、BMWのイメージリーダーとして、これほど似合う車はない。

しかし、私は、この6シリーズの4ドア版である、E23の7シリーズ、とりわけッファローレザー張りの特別な内装を奢られた、745iAというモデルに並々ならぬ関心を持っていた。

次の週末、早速、品川の旗の台にある、○島モータース(今は倒産したようだが)に、現車を見に行き、舞い上がっていたので、ろくすっぽ試乗もせず、即決してしまった。

今ならば、車のコンディションも、まだ冷静に判断できるし、価格の交渉も上手に出来ると思うが、当時の私はあまりに無力だった。結論から言うと、この745iAはハズレだったのである。

まず、エアコンが故障していた。確認しようにも、冬だったので分からなかったのだ。ステアリングのガタがひどく、これはステアリング・ギアボックスの問題ではなく、ロアアームのブッシュが完全にヘタっていたからだと思うが、そんな知識はなかった。

そして、何よりも、ステアリングが異常に重かった。お店の人からは、「こんなもんですよ。ポルシェなんかもっとひどいですよ」と言われた。私は、この車を平成5年から平成8年までおよそ三年間保有することになる。当時は給料も安かったので、整備費用が捻出できず、常に調子が悪かった。結局、エアコンは一度として効かず、ステアリングは重いままだった。

今のように、インターネットが普及しておらず、外車の整備情報などは、正規ディーラーしか持っていなかった。良心的な整備工場も少なかった。女性もこの車には乗りたがらなかった。

結局、この車は、購入金額以上の整備代金をかけ、全塗装まで施したが、E32 750iLを衝動買いしてしまったので、別れを告げることにした。※この750iLも駄目車だった。


私は、この二台のBMWの苦い経験で、「元が悪いものは何やっても駄目」「中古車屋は信用できない」という結論に達した。その後、私の中古車人生は、「個人売買、低走行の極上車」という路線にシフトすることになった。

すでに、世の中はインターネットが爆発的に普及し、ISDN回線で快適な通信環境も整備されつつあった。ヤフーオークションで個人売買を行い、自分で陸運で名義変更し、部品も海外から直接購入して、工場に持ち込んで整備する。

私は、自動車の個人売買に夢中になった。遠くは九州や北陸までにも飛行機に乗って下見に行き、その帰りにフェリーで乗って帰るというような荒業も相当こなした。

中古車屋の云う「距離よりも程度」というのが如何に嘘かというのは、自分で経験してみて良く分る。
「低走行、極上車」は、購入するときにはやや値が張るものの、追加の整備費用があまりかからず、次に自分が売る時にも非常に有利であると思い知った。確かに距離の出ている車でも程度のいいのはあるかもしれないが、やはり、「低走行、極上車」には、かなわない。

2001年の4月に、1983年式、走行距離 たったの5800kmという、W126の500SELをオークションで購入し、あの時代の、新車のドイツ車の良さを思い知った。自分が今まで乗っていたのは、ただの屑だったのだ。
そして、2001年の秋、私のとって、運命の出会いがあった。程度極上のE23 745iAが出品されていたのである。しかも値段は格安であった。1985年式 D車、1オーナー、距離25000km、色はグラニット・シルバーで、内装は、探し求めていたバッファローレザー!!記録簿完備、整備はすべてディーラー(BMW高輪)

今までの自分の意味のない苦労を、この車が救ってくれるような気がした。

私は、夢中で入札し、そして週末には、出品地である和歌山に飛んで、無事に受け渡しを済ませた。私は、帰りの高速道路で、最初の745iAとのあまりの違いに、愕然とした。「今までの私の苦労はなんだったんだ、、、じめにこの車に出会っていれば、、、」

その後、この745iAには、微細なトラブルもあったが、ほとんど完璧といってもよい状態で乗ることができた。やはり、エアコンが途中で逝ってしまったが、原因であるコンピューターは、埼玉のイースト電機で完治した。納車後、今までよりも、はるかに強い風量で冷気が出て来た時には、心の底から感動したのである。
その後、ブレーキのマスターシリンダーの交換、ブレーキキャリパーのOH、などをしたくらいで、ほとんど故障らしい故障は無い。今思えば、パワーステアリングのポンプから、パワステオイルが漏れていたので、OHかリビルド品に交換するなりしておけば、ステアリングの重さも解消できたのではないかと思う。
この車も、都合5年間、私の手元にあったが、持ち駒の出入りの関係で、どういうわけか魔がさしてしまい、この745iAを売ってしまった。今思えば痛恨の極みである。もう程度の良い745、、しかもエクゼクティブ仕様などは、市場にはまず出回らない。今でも、もしかしてどこかで程度のよい745iAが売られているのではないかと、気になってしようがないのだ。

2008年10月12日日曜日

人形町 喜寿司

接待族、明らかに同伴出勤と思しきカップル客、もったいぶった自称グルメ、無愛想な店主、そして何よりも、不明瞭な会計!!などなど、、銀座の鮨屋になじめない方は多いと思います。 私もその一人です。

そんな方には、江戸前の雰囲気や接客を味わえる、人形町「喜寿司」が良いと思います。私も、このお店が似合いよう、日々頑張っております。

※ちなみに、ネタは、銀座の超一流店には及びませんし、たくさん食べると、お勘定が思いのほか掛かってしまい、コストパフォーマンスはあまりよくありません。










喜寿司 (きずし)
TEL 03-3666-1682
住所 東京都中央区日本橋人形町2-7-13
営業時間 11:45~14:30 17:00~21:30
定休日 日曜・祝日

湘南が誇るフレンチの名店 La Table de Toriumi

茅ケ崎の駅からタクシーですぐ。静かな住宅街の中にあり、海が見えるようなロケーションではないので、通りすがりの観光客相手のお店ではない。ここの料理は極めてレベルが高い。客層も素晴らしい。(私も含む (笑))

ミシュラン東京で星がどうしたこうしたという話題が好きな方は、そういうお店に行っていただくとしても、この店は、十分にその資格はあると思う。特に野菜が秀逸、お値段も常識的というか、破格に安い。近郊の方は行かねば損ですよ。







ラ・ターブル・ド・トリウミ (La Table de Toriumi)
ジャンル フレンチ
TEL 0467-84-0484
住所 神奈川県茅ヶ崎市松が丘1-2-22
営業時間 12:00~14:00 17:30~20:30
定休日 火曜日

当日でも、必ず予約の取れるレストラン アロマクラシコ


私は、人気レストランを数週間前から予約して、その日を指折り数えて待つというような、ピュアな心などは、とうに持ち合わせていないので、困った時はここを予約します。品川という、辺鄙な場所にありますが、レベルは高いほうではないかと思います。

麻布十番の「アロマフレスカ」は、予約困難だし、わざわざ行こうとは思わないが、ここは広々としているし、ワインも豊富で値段も普通なので良心的だと思います。中野の「カッフェアロマティカ」もお勧めですが、駅から遠いし、山手通り沿いなので、車の音がうるさい。でも、料理のレベルは高いほうではないでしょうか??


アロマ・クラシコ 
ジャンル イタリアン
TEL 03-6718-2822
住所 東京都港区港南2-16-3 品川グランドセントラルタワー 
   グランパサージュ1 1F
営業時間 [月~土]11:30~14:00(LO)17:30~21:30(LO)
[日]11:30~19:00(LO)
定休日 年末年始
カード可 禁煙・喫煙 完全禁煙 駐車場 無 個室あり

中目黒の和食の名店 尾崎

普段、外食する時は、フレンチやイタリアンが多く、さらに、なぜか最近、結婚式が連続して、重い料理は食傷気味だった。

そこで、たまにはおいしい和食を食べたいと思っていた所、偶然発見したお店がここ。東横沿線の知人と食事をする際には、中目黒は便利な場所。

今回ご紹介する「尾崎」は、こじんまりした割烹ですが、味はなかなかの水準です。お値段も普通ですので、もしお近くまでお寄りになったら、ぜひ行ってみてください。

尾崎 
ジャンル:割烹・小料理
TEL:03-3712-2227
場所:東京都目黒区上目黒3-16-5 1F
定休日:日曜日及び連休の月曜日


2008年10月6日月曜日

シリーズⅢ W6の専門店 バランスを見学する

4日の土曜日は、横浜の元町のあたりに行く用事があり、600SLで行ったのですが、駐車場に入れて、ソフトトップを畳もうとしたところ、途中で止まってしまいます。何度かトライしましたが、ダメ。原因は右のパワーウインドウのヒューズ切れです。それと、右のブレーキ・ランプの球も切れてしまいました。

それで、帰りに、港北インター近くのオートプライドに行って、作業中のベントレーの板金塗装を見てきました。まだ仕上げの前でしたが、懸念であったコーチラインも上手に再現してあり、満足のいく仕上がりになっていました。
職人さんいわく、多分、英国の工場では、熟練の職人が、筆で一気にラインを引いていたと思われるが、それが出来る職人は日本には数少なく、コストもかかる。

今回は、まずはボディ色を塗装をした上に、コーチラインの部分にややはみ出すような形で、コーチラインの赤い色を塗り、それが乾いたあとに、コンパウンドで研磨して塗装面を面一にしする。そして、その上に、コーチラインとして、細いマスキングテープを貼って、再度ボディ色を上から塗装し、乾いたのちにマスキングテープをはがすとコーチラインが浮かび上がるという手法を取ったとのこと。

当然、乾いたあとに、マスキングの段差をなくすために、再度研磨して面一にしてから、クリアーをかけて完成らしい。元がラッカー塗料でもあり、普通の作業よりも、かなりの時間と手間がかかっているにもかかわらず、見積もりは極めて良心的な金額でした。ここの作業レベルの高さと、良心的な代金は、皆様にもお勧めできるレベルです。工場も、増設されて、作業は速くなりました。板金工場はそんなに混んでいません。
600SLのヒューズと、ブレーキ球の交換を済ませ、港北インターに乗ろうとする途中に、極上のシリーズ�のW6の専門店である、「
ランス」を発見しました

元は、町田にあったお店ですが、遠いのと、そのあまりにも高額なプライスに、一生御縁はなかろうと、見学もしたことはなかったのですが、思わず冷やかしで入ってしまいました。中には、数代のW6が展示されており、どれもが素晴らしいコンディション。400万円台のプライスですが、一年、6000kmの保証がつくようです。


私にとっては、シリーズⅢ
のW6は、もう縁のない車だと思っていましたが、その流麗なスタイル、あの独特の乗り味、あのエンジンフィーリング、、
私の中で、忘れていた感情が蘇ってきました。

お店の方もとても親切で、最後にお土産に、雑誌のコピーと、オリジナルCDを頂きました。なんだか、心温まるひと時でした。



シルバースパーⅡ エンジンルーム丸洗いに挑戦

いつも、DIYメンテで痛い目にあっているのだが、懲りない性分なのか、ついつい無謀なことに挑戦してしまう。今日のお題は、「エンジンルーム丸洗い」である。というと、よく量販店で売っている、ケミカル商品を思い出してしまうが、そんな甘っちょろいものでは、エンジンルームなどは綺麗にならない。それに、ケミカル商品についての効能は、基本的にあまり信用していないので、、

やり方は、どの自動車雑誌を読んでも、エンジンの丸洗いは厳禁というのは、常識じかと思います。しかし、何でもかんでも一律に禁止というのは、性格的に受け入れられないので、自分のRRシルバースパーⅡを実験台に、コイン洗車場で丸洗いに挑戦してみました。

かつて、エンジンの丸洗いは、ランチャ・テーマ8.32のフェラーリV8エンジン、BMW E23の745iAの、直6エンジン、シリーズⅢのW6のV12エンジンなどで経験済みで、単に幸運だったのかもしれませんが、何の問題もありませんでした。
コツがあるとすると、強い水圧をかけない、デスビやヒューズ周り、コンピューターなどの周辺には、水をかけない、、くらいだと思います。(勿論、プロは絶対に勧めないでしょうね)
今日は、コイン洗車場なので、水圧も強力だし、時間も限られています。今回のコースは、700円で30分のゆったりコース。2分の高圧洗浄の後、温水のシャンプー液の高圧洗浄があり、その後は15分の洗浄タイム、その後仕上げのゆすぎが三分間。この時間で徹底的にきれいにしなくていけません。

要領は、まずエンジンの前部のラジエーターおよびファンのまわりや、ボンネットの裏あたりを、思い切って洗浄します。このあたりは、古い車ならば間違いなくかなり汚いはず。そのあとは、コンプレッサーや、ヘッド周りの、目立つ部分、そして、手が届きにくく、かつ電装系の問題がなさそうな、エンジンの奥の部分の配管もかなり汚れているので、ここも思い切って高圧洗浄します。その後、持参したクイック・ブライトで、汚れている個所をスポンジとブラシでごしごし洗います。ものすごい勢いで汚れが落ちていきます。

もし、エンジンが止まるのが心配ならば、エンジンをかけたままやるのもよいでしょう。その際には、ファンで手を傷つけないように十分注意が必要です。(本当に危険です)

満足するまで、ごしごししたら、最後のジェット噴射です。これで、エンジン・ルームの隅々までの、汚れを一気に落とし、仕上げにファイバークロスで、水分を拭き取ります。もし、ご自宅ガレージで行うならば、エア・コンプレッサーで一気に水分を飛ばすのも良いでしょう。プロは、エアブローでかなりの水分を飛ばしてしまうようです。トラブルも最小限で収まりそうです。

そして、仕上げに、樹脂やゴム部品に、タイア用のスプレー式の保護剤を噴霧して、終了。

作業終了後、恐る恐るエンジンをかけましたが、問題なくかかりました。

エンジンルームの洗浄は、個人ではなかなか難しく、もしかして、水気が入ることで、問題が生じるのではないかと、なかなか踏み切れませんが、意外と大丈夫ですよ。(保障はしませんので悪しからず)

今度は、以前から気になって仕方がなかった、600SLのエンジンルームを、徹底的に洗浄してみたいと思います。

シルバースパーⅡ 初めての車検

このシルバースパーⅡは、ブレーキ関係の修理で、オート新町に預けてから、部品調達で手間取って、およそ一ヶ月半も戻ってこなかった。これはわたくしの不明であり、工場には大変迷惑をかけたと申し訳なく思っている。最近は、部品持ち込みをOKするところも増えてきたが、やはり、修理工場も、わけのわからん部品を持ち込まれることによる、品番違い、OEM部品のクオリティの問題など、作業リスクがあるので、あまり受けたくはないのが本音だろう。また、利益面でも、あまりうれしい話ではないと思う。私のような車の場合、珍しがってくれる方と、やはりビビってしまう方とに分かれる。
行きつけのオート新町など、もっとややこしい車を整備しているので、SZ系のRR&Bなどは、お茶の子さいさいだと思うが、やはり保管には相当気を使うという。

車検は、いつもお願いしている「ケーアイサービス」という業者さんにお願いした。この業者さんは、「早い、安い、うまい」を地で行くプロ。代表の森さんは、本当に良く気がきく人で、素晴らしい人物。鍵と車検証と納税証明などの書類一式を宅急便で送れば、なんでもやってくれる。
ちなみに、今回は大きな問題もなく、無事に合格しました。以下はその明細です

  1. 自賠責保険料 23170円
  2. 自動車重量税 63000円
  3. 検査印紙代 1800円
  4. 予備検査料 5250円
  5. 車検代行料 9800円
  6. 外車追加費用 3000円
  7. 仮ナンバー代 3000円
  8. テールランプ球交換 無料

合計 109810円    自分で仮ナンバー取って、陸運持ち込んで、どんなに要領よくても四五時間はゆうにかかる。言われた時間どおりに、引き取りして、車検通して、洗車して、また納車して、この値段!一日で2,3台が限度だろうし、良心的ですよね。私も、定年になったら、年金暮らしに加えて、こういう仕事をしながら、人様の車を触ってみたいなと思うこともありますね。
まあ、そんなに甘くはないでしょうが、、、、

W129 600SL DIYメンテの成功自慢

分でまあまあ綺麗だと思っているし、知人からも結構いい固体だと評価されている、我が600SLですが、マイナー・トラブルは、結構あり、その中で煩わしかったのが、ウォッシャータンクからの水漏れでした。

過去、のべ3工場で、修繕してもらい、それなりに直ったのですが、すぐにダダ漏れになってしまい、私も諦めてほったらかしにしていました。しかし、メーターパネルに、ウォッシャー液不測のランプがつくのは不快この上ない。それと、窓ガラスの汚れを何ともできないのは、運転上危険でもあります。

たかが、ウォッシャータンクでも、三回も直すと、修理代金も馬鹿にならず、最後は、ウォッシャーポンプの故障と診断され、新品交換を依頼をしましたが、工賃が馬鹿馬鹿しくなり、部品だけ購入して自分で治すことにしました。そして、ある平日の夜、発作的に作業したくなり、スーツから作業着に着替えもせず、夢中で作業を行ないました。ポンプ交換は超簡単で、完了後に、期待して、ウォッシャー液を入れてみますと、なんとジャージャー漏れ。一体何がおかしいのか?

夜中の駐車上の暗がりの中で、ようやくその原因が分かりました。

その原因とは、タンクとポンプをつなげるゴム部品、グルメットがキチンとハマっていなかっただけでした。要は、工場の単純な作業ミスです。今までの苦労は何だったんだ?作業してくれた、すべての工場でも分からなかったんだろうか?

※ちなみに、前回の修理の際に、念の為に、ヘッドライトウォシャーの配管もすべて交換したが、結局ヘッドライト・ワイパーの作動が止まらないので、モーターの配線をカットした。当然、ウォッシャー液も出ない。こういう意味の無い修理は不愉快である。

この成功に気を良くして、ついでに、運転席のドア内張りの、グローブボックスの蓋の破損も、ホビーファンにはおなじみの「プラリペア」という、造形補修剤で完全に治しました。このプラリペアは、中々の優れもので、接着したい箇所に、粉を振りかけ、溶液をたらせば、数分でガッチリ固まります。瞬間接着剤とは次元が違います。少々コツは要りますが、これは凄い。値段も1500円くらいです。色も、白、黒、透明とあり、一つあると便利ですよ。

シルバースパーⅡ ブレーキアキュムレーター交換

これも、7月末のネタですが、備忘録として書いておきます。
シルバースパーⅡ、購入後、あれこれ手を入れて、まあまあの状態を維持していましたが、メーターのコンピューターパネルに「BrekePressure」と表示されるようになった。このワーニング・ランプは、走っているうちに自然と消えるので気にしていなかったが、だんだんとブレーキが効かなくなり、これでは危険極まりないので、いつものオート新町に持ち込んで、N工場長に御診断いただきました。

その途中で、エアコンが効かないことも判明し、試しにバッテリーのキルスイッチを切ったりしてみたが、変化なし。そればかりか、キルスイッチが壊れてしまい、不動になってしまった。しようがなくJAFを呼んで、なんとかスイッチの接触不良を修繕し、工場に持ち込むことができたが、こんなところが壊れていては、恐ろしくて運転できないので、これも、交換をお願いした。


今回の修繕の依頼箇所は、
①ブレーキのアキュームレーターの交換
②エアコンガスのR134aへの変更およびリーク止め作業一式
③キルスイッチの交換

今回は、消耗品の交換のような作業なので、あんまり時間はかからないと踏んだのんだが、あにはからんや、英国のロールスロイスのオンライン部品販売業者Flyngsparesに、部品一式をオーダーし、待つこと7日で、部品はオート新町に到着しました。

しかし、ここで問題発生。何と、入っていたスフィアが、ブレーキ・アキュームレーターではなく、同型のリアのサスペンションのアキュームレーターが間違って入っていたのだ。これに気づいたN工場長もすごい。早速、Flyngsparesにメールにて事情を話し、正しい部品を送ってもらうようにお願いする。その後、到着した部品は、正しい品番だったのだが、ガスが漏れており、これは使えませんという、またしてもN工場長からのご指摘があり、今度はは発想業者に事情を話して、Flyngsparesに伝えてもらい、やっとの事で、部品が到着。これで、約二週間ロスしました。
今回の代金は、エアコンのガスのR134aへのレトロフィット交換、ACガスリーク・ストップ作業、真空引き、ブレーキ・アキュムレーターの交換、ミネラルオイルの交換、(エア抜き)、バッテリーのキル・スイッチの交換、ボディの10円玉パンチ傷の研磨、など、、総額、13万少々、、、(スイッチ、アキュームレーター、Oリング、134aガスは持ち込み)
まあ、この車にしては、大変リーズナブルな仕上がりと言えるでしょう。

2008年9月9日火曜日

嗚呼、W126 560SEL

かつて、W126と呼ばれる、先々々代のSクラスには、クーペも含めて、都合三台保有しました。自分が乗っていた時には、そのサイズと存在感を自分の中では持て余していましたが、今、W126をみると、思いのほか、横幅がほっそりしており、クロームギラギラで、およそ上品とは程遠かったアピアランスも、モンブランなどにも通じる「ドイツ流クラシック」とでもいうのでしょうか、不思議と上品な印象を受けます。

動力性能、乗り心地などは、もはや現代の基準では語ることはできませんが、中古ベンツへの入門車としては、W124よりはこちらを押したいと思います。工夫次第では、維持費もそうは変わりませんし、やはりW126には、深い深い魅力がありますよね。。

この二枚は、2001~2004年まで保有した
1983年型 500SELです。5800kmという、デッドストック状態で購入して、約1万km乗りました。足回りは、当時に日本仕様だったので、かなりブアンブアンで、CG誌のレビューでも、小林彰太郎氏が、欧州仕様のほうが良いというような記事を書いていたような記憶があります。



この車両の入手のエピソードは、後ほど別の機会にじっくり書きますが、W126の新車時に近いコンディションを3年間味わったのは、私の数少ない自慢の一つであります。
































この二枚は、2006年に約1年間だけ保有した、89年式560SELです。英国仕様らしく、右ハンドルの並行車というマニアックな仕様。保管状態もよく、購入時4万kmでしたが、内外装は文句ないレベルでした。ただ、三大保有してこれだけは許せないものは、あのW126特有の室内のにおいです。私は、これを「校長室のにおい」と呼んでおります。

W126を維持してみてわかったことは、非常にメンテナンスしやすい車です。部品も、純正、OEM,中
古なんでもあり。ただし、あんまりボロイのを買うと、「砂漠に水をまくが如し」で、しなくてもよい苦労をする羽目になります。今、上程度のW126は少なくなったとはいえ、まだまだいい個体は探せます。ただし、足回りや駆動系、エンジンの消耗品関係、などはリフレッシュする必要がありますので、それなりの追加予算は必要です。

歴代のSクラスの中では、最も長く作られ、エンジンも排気量も様々なタイプがあり、年式、モデル、程度、色、内装、そこがこのSクラスの面白いところでもあります。 直列6気筒の300SEとV8の560SELは、フィーリングが相当違いますが、やはりその重厚な走りと、巌のごときボディのつくりは、一度味わったら、もうほかの車では満足できないほどの深い喜びを感じてしまうことでしょう。ただ、乗り味に関しては、独特の世界です。こればかりは、足回りの装交換を行っても、変わりません。

いろいろと思いだしながら、書いてみましたが、W126はベンツの歴史上「頂点」に君臨し続けたモデルです。当然、価格もべらぼうに高かったが、決して華美な車ではありませんでした。なぜなら、w126は、第一次オイルショックの後に、省燃費、安全、リサイクルなど新たな重大なテーマへのメルセデスからの解答であるからなのです。

現在、高級車において、W126のコンセプトや精神を受け継いでいるモデルは、今のベンツには勿論、他のメーカーにもありません。そういう意味でも、w126の魅力というには、まだしばらく色あせることはないでしょう。

2008年9月7日日曜日

鎌倉 長谷観音近くのイタリアンレストラン ナディア

9/5は、鎌倉の長谷観音近くのナディアに行ってきました。ここは三回目ですが、プリフィックス・メニューが豊富なので、飽きることがありません。夜のコースは3900円というリーズナブルな設定で、ワインも個性的なものを揃えています。



こういうシンプルな料理って 意外となかったりしますね。一見素朴なようで、ハーブの使い方が印象的。




店名:ナディア
TEL:0467-24-3007
住所:神奈川県鎌倉市長谷1-14-26
営業時間:11:30~14:0017:30~22:30
定休日:月曜・偶数週日曜の夜休み

2008年9月4日木曜日

六本木はアートの都になれるか??

今日は暑い一日でした。やや遅い夏休みの最後の日、ふと思い立って、六本木にある国立新美術館「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画のに行ってきました。展覧会の目玉は、スペイン絵画の巨匠ディエゴ・ベラスケスの描いた「薔薇色の衣裳のマルガリータ王女」(1653-54年頃)です。 でも、なんでスペインの王女様の肖像画がウイーンなどにあるんでしょう?それを知ることは、欧州の近代史を知ることでもあります。










































時は17世紀、ハプスブルグ家はオーストリアとスペインに分かれ、互いに、政略結婚を繰り返しながら、全欧州で勢力を拡大していました。しかし、スペインでは、悪政が続き、また後継ぎの王子たちは皆早く亡くなったので、王朝は存亡の危機に瀕していました。スペイン王朝が生き永らえるためには、なんとしてでも、有力な王族との政略結婚を成功させなければなりません。そこで、14歳になった、マルガリータ王女は従兄でもあるウイーンの神聖ローマ帝国皇帝 レオポルド1世に嫁ぐことに。
これらの肖像画は、幼くしてレオポルド一世と婚約した、マルガリータのいわばお見合い写真でもあるのです。 ベラスケスは、マルガリータの肖像画を6枚描きました。それらのうち数枚がウイーンに送られ、そのうちの一枚が、この展覧会のために、はるばる日本にやってきたのです。
ちなみに、この国立新美術館、サントリー美術館森美術館を六本木三大美術館というそうですが、共通点は自前の美術品を所蔵せず、さまざまなテーマで、展覧会を開くという、いわば美術界の「カンバンシステム」とでもいうべき、在庫を持たず、旬のネタをジャストインタイムで仕入れる仕組みにあります。
さらに、これら三つは、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンなどに隣接しているのも特徴のひとつ。ビジネス、ホテル、レジデンス、ファッション、高級レストラン、そしてアートを組み入れることで、都市としての魅力を高めようという狙いでしょう。
NY,ロンドン、パリのような先端都市にはアートは必要不可欠ですから、東京の再開発の一つのひな形としてみると、なかなか理にかなったやり方と思いますね。













































この肖像画は(ベラスケスの描いたものではない)、マルガリータが16歳のころのもの。父フェエリペ四世の葬儀の時に描かれたといわれています。本当に悲しそうな顔をしていますね.
彼女は、レオポルド一世との間に四人の子を産みますが、一人を除いてすべて早死。マルガリータ自身も、22歳の若さでこの世を去った。その後、スペインは英国、オランダにその栄華を明け渡し、没落していくことになります。




この絵は、スペインのプラド美術館にある、ベラスケス最大にして不朽の名作『ラス・メニーナス(女官たち)』

中央には自身の姿を巨大な鏡に映す皇女マルガリータとその女官たちが描かれ、画面左側ではベラスケス本人と推測される画家が筆を手にしながら観る者と視線を交わらせ、この光景を描いている。そして、画面最奥の鏡には国王フェリペ4世と女王マリアーナが映っています。










































この絵を見る者は、国王夫妻と同じ視線で、この光景を観るのですが、主人公は、あたかもマルガリータであるように見えて、左側のベラスケスの強烈な自意識もうかがえ、非常に興味深い絵画であります。当時、画家という職業には「職人」としての地位しか認められていませんでしたが、フェリペ4世は晩年のベラスケスに宮廷装飾の責任者を命じ、貴族、王の側近としての地位を与えていました。

画中のベラスケスの黒い衣服の胸には赤い十字の紋章が描かれていますが、これは、サンティアゴ騎士団の紋章で、ベラスケスが国王の特段のはからいで同騎士団への加入を果たし、貴族に列した1659年(死の前年)に描き加えられたものです。ベラスケス自身も、宮廷画家にとどまらず、政略結婚の根回し役を努めていたぐらいだから、相当な曲者だったのは想像に難くない。(※これが原因で過労死したとの説あり)

技術的には、カラヴァッジオやオランダ海外の巨匠達の影響を受けた、明暗対比(陰影法)による写実性豊かな描写手法を用いながら、当時の王室の生活のひとコマを、見事に計算された構図で表現した本作は、古典絵画の傑作として、今なお人々を魅了し続けています。

この日は、サントリー美術館の「小袖 江戸のオートクチュール」という、展覧会を見てきましたが、着物には何の興味もないので、10分で退出。その後、ミッドタウンの中をぐるりと一周し、JEAN-PAUL HEVINでショコラを購入して帰路につきました。

そこで、今回のテーマ「六本木はアートの都になれるか??」というテーマに関しては、Noと言わざるを得ない。国立新美術館も、当初は「ナショナルギャラリー」という名前であったようですが、それでは海外からの旅行者に誤解を招くという美術関係者からの猛反対にあって、今の名称に落ち着いたようです。(ちなみに英語表記ではThe National Art Center, Tokyo となっています)

欧米の一級都市にあるようなナショナルギャラリーを、今の日本でゼロから作るのは、限りなく不可能に近い。であれば、これらの美術館のような仕組みで、運営していくほうが、観る側からすれば、良質なものが見れるのではないかという気もします。そう考えれば、国立新美術館も、東京ミッドタウンの一部だと考えれば、納得がいく。二階には、ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼも入っていますしね。

まあ、非常に人工的かつ、高度消費社会のメッカのような場所で観た、ベラスケスのマルガリータは、そんなへ理屈は、まったくお構いなしに、そこにありました。9月15日までこの展覧会は開催されています。

PS:ミッドタウン地下駐車上からのエレベーターで、森進一氏と乗り合わせました。思ったより小さい方でした。あの声で「何階ですか?」と親切にボタンを押してくれました。好印象です。