2013年6月15日土曜日

E66 BMW760Liの内装

私の普段の足はこのBMWの760Liである。この760Liは本当に文句のつけようが無いほどいい車である。今のところ故障もないし、乗り心地も良いし、当たり前であるが速いし、内装も最高、デザインも最高。この車とは長い付き合いが出来そうだ。もし、右ハンドルでもっと程度の良い車が出てきたら、躊躇無く買い換えると思うが、、、、


思えば、E23,E32,E38,E66と歴代の7シリーズには全て乗ってきた(もちろん中古で!!)それも、E23ならば745iA、E32とE38ならば750iL、E66ならば760Liと最高グレードを選んできた。といってもBMWの7シリーズの中古車なんぞ中古車市場では文字通り二束三文なのである。なぜならば、E32で初めて搭載された12気筒エンジンの故障が頻発し、750iLは735と価格が逆転する現象が起こっているのだ。E32のエンジンマネジメントの不調はE38で概ね改善されたが、この汚名はそのまま受け継がれ、その後の中古車価格も例の逆転現象が起こっている。

では、BMWの歴代の7シリーズで6気筒、8気筒モデルと12気筒モデルとの違いは何なのだろうか?
当然エンジンの出力とフィーリングは大いに異なり、12気筒にはロングボディが組み合わされ、内装も特別な仕立てになっているのだ。

世間一般でのBMWのイメージは、3シリーズに代表されるスポーティーさだが、上級モデルともなるとやや印象が薄い。このセグメントには、天敵のメルセデスベンツが、そして近年ではアウディや日本車、また最近復活した英国車との熾烈な競合が待ち受けている。

このクラスでの各社のオリジナリティは、パワートレーンだけではなく、ボディのデザインと内装の作りこみに発揮されている。その中でもBMWの7シリーズは、高級車のインテリアデザインにおいて、フロントランナーを走り続けてきた。

E23 745iAのバッファロー内装や、E32やE38のモダンでありながらも、BMWの伝統を引き継ぎ高級素材を惜しみなく使った意匠は、この車の魅力の最大のものであろう。



W215 600CL が納車されました。。。

所謂「アベノミクス」と呼ばれる日本経済の復調で、メルセデスやBMWなどの高級輸入車の販売が急回復しているらしい。

しかし日本においては、「失われた20年」と言われた平成の間、輸入車の販売台数は年々上昇しているのだ。その背景として、円高による値下げや、故障が激減したこと、残価設定ローンなどによる販売促進があろう。

しかし、なによりも、日本人そのものがこの二十年でかなり贅沢になったのはないか。学者やマスコミなどの論調は、「この二十年、日本の経済は悪いことばかりで、いいことなどひとつも無い」というような、自虐史観で貫かれている。これは、全くの誤りである。

少なくとも、日本のGDPはこの二十年ずっと増え続けているし、上場企業の利益水準も過去最高レベルにある。構造改革によって格差が拡大したといわれるが、これは高齢化による要因も多く、他の先進国と比較してそれほどのものではない。ドラッカー曰く「中学生ですら携帯電話を持っているような国民が将来のことを心配する必要はない」のである。

日本において、外車に乗るという行為にはいくら自己満足の部分が多かろうとも、少なからず「他人の目」を意識せざるを得ない。それが「虚栄」であれ「謙遜」であれ、少なからず乗り手の人間性を反映するものである。

そういう意味で、メルセデスの大型クーペに乗る人たちはいったいどんなライフスタイルや、ひいては人生観を持っているのだろうか?

メルセデスのこのセグメントには、4ドアセダンのフォーマルなSクラスとスポーティーなオープンカーのSLが存在する。どちらもメルセデスの世界観を表現するフラッグシップモデルである。メルセデスがこのCLを通して表現したい世界観とは一体どんなものなのだろう。

この車を一言で言い表すと「余裕」である。

全長5m少々の悠々たるボディは、大きなエンジンを運ぶための長いノーズと、大人四人を乗せるためだけのキャビン、必要かつ十分な荷物をつめるだけのラゲッジスペースから構成されている。

クーペという言葉の語源は、馬車の型式から来ているそうだ。当時の馬車の多くが屋根開きの馬車(カブリオレ)であったが、よりフォーマルな場には屋根つきのクーペが必須とされた。当時のパリでは、クーペを保有するということは、実用的な馬車を他にも数台保有していることを意味し、富のシンボルであったという。

仏文学者の鹿島茂の名著「馬車が買いたい」のなかで、19世紀のパリを舞台にしたバルザックの小説の中にしばし登場する、上流階級に憧れ、貴婦人の愛人になろうとサロンに出入りする若者の姿が紹介されている。

そこで描かれる、田舎の親に金を無心して仕立てた一張羅の服を張り込んでみても、晩餐会に乗っていく馬車が無いと、圧倒的な階級制度の前に立ちすくむ若者の姿は、現代の日本の若者と比較すると時代や国の違いを考えてみても隔世の感を感じる。

富の象徴としてのクーペは若者の憧れではとうに無くなり、今や値下がり率ナンバーワンのカテゴリーになってしまった。


















先週の土曜日の午前十時に600CLが納車されました。

陸送会社の方が仮ナンバーで来られましたので、運転を交代して少しだけ試乗してみました。今回は、栃木のオークションからの物件でしたので、出品情報が限られており、4.5 内装Aの評価を便りに、いつものドタカン入札でした。ラッキーなことに、記録簿がシュテルン、一般の整備工場と全て揃っており、取説も完備していました。

懸念のイグニッションは片側のみ交換され、エアマスも同時に交換されています。オイルもモチュールのシールがドアのキャッチに貼ってあり、なかなかの旦那仕様だったようです。

初代オーナーは埼玉の建設会社で、二代目は栃木の方でした。

さて、街中を十分ばかり走ったimpressionですが、まずは五メートルのツードアクーペの存在感に圧倒されます。sedanなら何も思わないのに、不思議ですね…

さて、W220は数回運転した経験があり、何の予備知識無しに操作出来ます。こういうところがMercedesの伝統ですね。

噂には聞いていましたが、CLの乗り心地は最高レベルではないでしょうか。今から十年前の車ですが、その後のW221よりもずっと深イイ味付けですね。例えてみるて、ドイツのテンピュールのベッドのような、ムニュっとしていながら腰があり、芯は極めて強靭というもの。

故障のリスクはあれども、これにはW140は完敗ですね。

ただし、エンジンフィールは、先代エンジンの方が、より男性的かつ優雅です。このV12はフィーリングはかなり上質ですが、色気があまりない。先代の低速では粛々と執事としての仕事をこなしながら、高速道路で3500rpmから本性をむき出すような二面性はないのかも。


残念なのは内装でしょうか。

この時代のMercedesの共通点としてのコストダウンが、一番大事な内装の至る所に散見されます。先日売却したAMGと比べるのも酷なのは分かっていますが、もう少し何とかならんかなと思いますね。


まず、ダッシュボードのスイッチの造作がアメ車みたいな大味さ。チリが大きく、操作感に高級さが有りません。また、グローブボックス、コンソールの小物入れ、ルームライトなどの樹脂部品の精度が悪い。極めつけは折り畳み式のドリンクホルダーです。建て付けが甘く、この車の雰囲気を大いにスポイルしています。

また、スイッチのベタベタはお約束で、これは対策がありますので、ボチボチやっていきます。

BMW760Liとの比較を私なりにしますと、乗り味はCL、内装のレベルは760Liに軍配が上がります。

まあ、これだけの車が軽自動車以下で買えて、偉そうなコメントをつぶやけるのですから、私達は幸せですわ。